皆さん、こんにちは。
新年度が始まりました。
それにしても、中東情勢は常に不安定ですね。
実はイスラム教の神もユダヤ教の神も、そしてキリスト教の神も同じ神様だと言われています。
教えの原点は同じであったはずなのに、人が関わると教義も大きく変わっていくんですよね。
仏教も同じです。
元々、お釈迦様の教えは一つでしたが、お釈迦さまがお亡くなりになった後に弟子たちが集まり、その教え
をまとめ出しました。
これを結集(けつじゅう)と言います。
これを何回も重ねていく内に、段々異論が出てきました。
それは当り前だと思います。
なぜなら、すべてのお弟子さん達がお釈迦様のお心、本意、悟りを理解しているわけではないからです。
これを繰り返していく内に、段々分断やそれに伴う派閥が出来ていき、部派仏教(諸派仏教)というものが
出来て来ました。
とにかく、人は同じ考えや思考を持ってはおりませんので、人が集まると必ずこうなります。
仏教諸派でも分裂して「○○宗□□派」という宗派がたくさん存在します。
浄土真宗でもそうです。
元々一つであったのが、皆さまご存知の通り、本願寺派(西本願寺)、真宗大谷派(東本願寺)を始めに
高田派、仏光寺派、興正派、木辺派など沢山枝分かれしていきました。
結局こういうことをしていくのが人であり、そこには様々な正義や思想に加えて都合も含んでいると思い
ます。
それぞれが正しさを持っているからこその分派なんでしょうね。
でも、親鸞聖人の教えは一つなんです。

今月のことば、「それは短所、欠点ではなく 個性、特徴である」も同じだと思います。
よく自分や他人の短所が目に付きます。
不思議なことに、なぜか長所よりも短所に目に向くんです。
「短所、欠点」とは、自分自身もしくは他人がそう評価して貼られるラベルです。
かくいう私も欠点だらけで「良いところまるで皆無」ラベルだらけです。
「そういうところがあなたの短所、欠点だ」と人から言われたり、はたまた自分が人に言うこともあります。
でも、よくよく考えてみますと、「短所、欠点」や「長所、美点」という分別は、そう判断する人のモノサシ
で測られることが多いです。
つまりその人の持つ「正しさ」モノサシ。
そしてその「正しさ目盛」は人によって大きくズレもありますし、都合によっても変わります。

たとえば私はせっかちです。
そのせっかちさが人に対して不快さを与えてしまえば、それは「短所欠点」です。
でもせっかちさがある故に、何か問題が起こるるとそれを先送りせず、すぐに解決に向かって進みます。
そうなると「短所欠点」とはまた評価が変わるのかもしれません。
つまり、短所欠点と長所美点の両極は、それぞれ別々に存在しているわけではなく、紙の裏表のように表裏
一体なんですね。
だって、その時の都合とタイミング、そして結果によって表が出たり裏が出たりするから。

よくよく考えてみれば、人の評価っていかに適当で根拠なくいい加減なのか、とも言えます。
仏教に於いて、私たち衆生=凡夫は真実、正しさを持たない、と言われています。
それでも、正しさと言う安心を求めて必死にもがきながら生きるわたし。
何かにすがらなければ生きて行けないわたし。
そんなわたしをどうしても放っておけず、もう二度とこんな迷い苦しみの世界に生まれなくて済むように
お浄土に連れて行って下さり、仏として仕上げて下さるのが阿弥陀さま。

SMAPというグループの歌で「世界に一つだけの花」という歌があります。
大ヒットした有名な歌ですから知らない方はいらっしゃらないかと思います。
その歌詞で「そうさ僕らは 世界に一つだけの花 一人ひとり違う種をもつ」という言葉があります。
私たち人間は、自分と異なる人を排除しようとするところがあります。
容姿であったり、思考、振る舞いであったり…それをすぐに自分のモノサシで測り、分別してしまいます。
ただ、自分の考える「普通」と違う容姿や思考、振る舞いだけなのに…
そんな恐ろしいエゴを持った生き物です。

そもそも人は自分とは異なります。
同じ環境で育ったとしても、それぞれいろんな部分で異なる箇所があります。
つまり、人は自分とは違う…その相違点を「短所欠点」と見るのは間違いです。
まず「個性、特徴」なんです。
その個性、特徴を前提として、それが人に、社会に迷惑や不快感を与えるのなら、排除や否定をする前に
きちんと向き合い、話し合ってお互いを理解する努力が必要です。

世間では相違を「多様性」と表現し理解を促す流れがありますが、実際に真剣にそう考えている人はどれだけ
いるのか…言葉で終わっていることも多いかと思います。
反対する人、自分と異なる人を排除しようとするからこそ、戦争になるのだとつくづく考えさせられます。

やはり我ら衆生は凡夫たる所以ですね。
それでも、こんな我らだからこそ「救う」と願い立たれた阿弥陀さまの、大いなる慈しみの手の中で生きる
幸せに気付いて、手を合わせ、お念仏する人生を歩み続けたいと思います。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏


善教寺 住職
本願寺派 布教使

釋 一 心(西守 騎世将)







 


 
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